rapidml’s blog

ちんちん好きのちんちんによるちんちん録

大嘗宮に寄せて云々

気の赴くままに皇居東御苑の大嘗宮一般参賀へ。
肝心の大嘗宮の画像はほとんど顔が丸写りでプライバシーの兼ね合い上載せられなそうなので、代わりに平川門からの退出行列の画像をば。

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江戸城(現在の皇居)の歴史は室町期より始まっている。
時の幕府は室町幕府。群雄割拠の時代の例に漏れず、この関東も在地の守護や地侍共が蠢いておった。
中でも関東管領・上杉家は度々鎌倉府の将軍(←そもそも大半は鎌倉府どころか下総古河城にいたのだが)とも戦を交えるなど、関八州の中でも勢威を振るっていた。
この上杉家もまた分枝が存在し、特に著名であるのは山内上杉家扇谷上杉家である。
この扇谷上杉家の家宰・太田道灌こそが、この江戸城の築城者であった。

家宰というと難しいようだが、何の事はない。要するに主家のお世話係である。

イメージ図
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どうやら相当に切れ者であったようで、この道灌自体の最期も主君・扇谷定正から警戒された末の風呂上がり襲撃である。
最期に槍で腹を穿たれつつも一首詠んでみせたとか。なにこれすごい
ちなみに道灌の没後の上杉家は何ら良い所もなく、じりじりと伊豆の後北条氏に押され始め、最終的には越後の守護代・長尾家に家名を明け渡すハメになってしまった。

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この御仁は…国が違うんだよなあ(困惑)

元々は干潟の浮島に作った天然の郭が始まりだった江戸城も、今となっては大嘗祭の舞台に。
大きくなったなあ…しみじみ。
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とか言ってると後世に何も残らないって、はっきり分かんだね(蛇足)

終わりッ!閉廷!
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