rapidml’s blog

ちんちん好きのちんちんによるちんちん録

雇保被保険者台帳の請求について今昔

明けましておめでとうございます(今更)。

もう2月も半ばですが、小規模な変更があったため掲題の通り記したいと思います。

社労士や事務組合担当者にはお馴染みの雇用保険の台帳記録照会についてですが、令和元年10月以降の提出分からは喪失済みの被保険者の情報が照会できなくなっています。

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ほほう?

「年度途中の受託開始事業場とかどうせいっちゅうんじゃ!」という声もあるかと思いますが、お役所の決まりだから仕方ありません。

ただでさえ個人情報保護が謳われておりますからね、致し方ない。

(でも社保の記録照会では出てきてしまうので、実効性があるのかというと正直疑問ではありますが)

こんな制限の一方でいつも的外れな助成金ばかり増やしやがって…

 

具体的にはこちらの赤枠部分が変わってきてます。

添付はH27年1月版の台帳照会書類です。

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一方で、後の添付の方はR1年10月改正後の様式。

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正直区分枠必要か?って気もしますが、随分閑散とした内容になっているのが分かります。

各安定所や労働局ごとに細かな書式は異なりますが(法定の様式ではないため特に縛りはない。そのため異なる様式でもほとんどの職安は受け付けてくれるようです)、いずれも過去分の記録を取得できなくなっているのは確かな様子です。

仮に旧様式で提出しても、既存記録が掘り出せない旨の電話が来るか、現時点での在籍者記録&冒頭に貼り付けた通知文が同梱されて返信されてくる形になります。

 

何でこんな不便なやり方になっちゃったんでしょうね…

 

愚痴でした。

 

欠勤控除の考え方

おはようございます。
通勤途上ながらちょっとした小話でも。

「働かざる者食うべからず」、よく聞く言葉ですよね。
体調不良でやむを得ず休んだ月の明細を見てみると、【欠勤控除】欄に△16,000円の字が…なんて経験もあるかもしれません。
「働かずに給料貰えたらいいのにな」なーんて思いを打ち砕くこの欠勤控除は、ノーワークノーペイの原則という考え方に沿った物なのです。
簡単に言えば、「働いてない分を払う理由はない」ということ。
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給与保障としての役目がある健康保険の傷病手当金労災保険の休業補償給付も、この原則に沿った上での救済措置になります。
なので、たとえ身体は休んでいても給与が発生(有給休暇を充てたりとか)している場合は、その日数分支給されません。(それぞれの待期分を除く)
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ケガして休んでて仕方なく有給休暇を使ったのに、保険の給付が受けられない…
なかなか無念感ありますよね。
でも、あくまで給付額は健康保険・労災保険それぞれ概ね6割前後に留まるので(労災保険の場合は特別金として別に2割増)、どっちを得ととるかは個々の状況次第になるでしょう。

控除額の基礎になる(割る対象となる)手当類についても、各社の就業規則での定めによります。
(そもそも欠勤控除は法定上義務付けられているものではないので、就業規則によるしかないといった感じです)

ご質問等ありましたらコメ欄で頂ければと思います。
纏まらない話となりましたが、ご一読頂きあ
りがとうございました。

大嘗宮に寄せて云々

気の赴くままに皇居東御苑の大嘗宮一般参賀へ。
肝心の大嘗宮の画像はほとんど顔が丸写りでプライバシーの兼ね合い上載せられなそうなので、代わりに平川門からの退出行列の画像をば。

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江戸城(現在の皇居)の歴史は室町期より始まっている。
時の幕府は室町幕府。群雄割拠の時代の例に漏れず、この関東も在地の守護や地侍共が蠢いておった。
中でも関東管領・上杉家は度々鎌倉府の将軍(←そもそも大半は鎌倉府どころか下総古河城にいたのだが)とも戦を交えるなど、関八州の中でも勢威を振るっていた。
この上杉家もまた分枝が存在し、特に著名であるのは山内上杉家扇谷上杉家である。
この扇谷上杉家の家宰・太田道灌こそが、この江戸城の築城者であった。

家宰というと難しいようだが、何の事はない。要するに主家のお世話係である。

イメージ図
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どうやら相当に切れ者であったようで、この道灌自体の最期も主君・扇谷定正から警戒された末の風呂上がり襲撃である。
最期に槍で腹を穿たれつつも一首詠んでみせたとか。なにこれすごい
ちなみに道灌の没後の上杉家は何ら良い所もなく、じりじりと伊豆の後北条氏に押され始め、最終的には越後の守護代・長尾家に家名を明け渡すハメになってしまった。

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この御仁は…国が違うんだよなあ(困惑)

元々は干潟の浮島に作った天然の郭が始まりだった江戸城も、今となっては大嘗祭の舞台に。
大きくなったなあ…しみじみ。
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とか言ってると後世に何も残らないって、はっきり分かんだね(蛇足)

終わりッ!閉廷!
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ブログはじめまみた

こんばんは。
飽きっぽい身ですが、ブログを始めてみました。
基本的に書くことが少ないので、恐らく放置の展開になるかと思いますが…。

気長に見てやってください。

最初の記事ってこんな感じでいいんですかね?